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このカテゴリでは、Tibetan Solidarity Committeeのプレス・リリース試訳をまとめて掲載していく予定です(順次アップロード予定、気長にお待ちください)。 「チベットNOW@ルンタ」に掲載されている日本文と同じです。
Tibetan Solidarity Committee : 日本語名称は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所によると、 「チベット政府民間合同緊急行動委員会」となるようです。 便宜上、こちらでは手短に「チベット連帯委員会」と直訳させていただいております。 (特にことわりのない訳文は、epeaによるものです。) なお、日本語訳の最終確認は「チベットNOW@ルンタ」中原氏にお願いしておりますが、あくまで時間の許すかぎりの試訳として行っているため、厳密な訳を保証するものではありません。 正確な内容については同委員会発表の原文にてご確認いただけますよう、お願いいたします。 「チベット政府民間合同緊急行動委員会」 公式サイト 同委員会 プレス・リリース・アーカイブ #
by epea_d
| 2008-09-01 11:00
| チベット緊急連帯委員会
毎朝、水を汲んでくれた隣家のおじいさん。この水場は近所の人々が飲料水や料理のための水を汲みにくる所で、私もここで顔を洗ったり歯を磨いたりしていた。生で飲んでも何の問題もなかった。結局、ダラムサラにいる間じゅうずっと、お腹の調子はきわめて良好だった。最初は不便に感じたが、むしろこの水場に行くことで「ご近所さん」と知り合う機会が増えたのだった。断水に遭ったおかげでチベタンの友人が出来て、世界が広がった。嬉しい「断水」だった。 とはいえ、水の不自由な街にしばらくの間住んでみて、あらためて水のありがたさを身に沁みて痛感した。水は命を繋げていくうえで必須なもの、ということは、常識として知っていたけれど、実際に水道の出ない場所で生活してみて、身を以って学んだ、という気がする。水を飲まないと生きていけないのはもちろんだが、仮に飲み水だけはボトル入りのミネラル・ウォーターが手に入るとしても、水がなければまず、トイレで排泄物を流すことができず、大いに困惑することになる。衣服はおろか、顔も体も洗えない。「生活している」といえる状態を保つことが、ほぼ不可能になる。 水は、大切なものだ。 * 『医者、用水路を拓く』は感動的な著作なので、未読の方はぜひ一読されたし。著者はペシャワール会代表・中村哲医師。1984年以降、パキスタン、アフガニスタンの辺境で難民に寄り添いながら現地医療に尽くし、特に2000年にアフガニスタンを襲った大旱魃以降は、メスを重機のハンドルに握り替えて、水源確保事業、緑化事業、灌漑水利計画等を推進してきた人である。その作業地、1500ヶ所以上。年間診療数、約8万人。 本書は、ペシャワール会2001年9月から 2007年4月までの活動記録となっている。中村氏に率いられた現地人および日本人ワーカーの方々が、国際政治の不条理に引き裂かれるような状況に翻弄されながらも、その時々に実践しうる最善を目指して力を尽くし、乾燥しきった大地に用水をもたらすべく灌漑施設を敷設しようと地道に奮闘し続けてきた様子が記されている。あくまでも淡々とした記述ゆえに、いっそう胸に迫る。(ダラムサラにいた時、中村氏の活動についてもOさん達との間で話題になった。) 『目覚めよ、仏教』の対談において、ダライ・ラマ法王は「(不正に対しては)慈悲をもって怒れ」と説いている。中村氏の『医者、用水路を拓く』はまさしく、「菩提心を起こした個々の人間が、(虚構にまみれた国際紛争の巨大な渦中にあって)やり場のない怒りを抱きつつも夜叉の如く、固い覚悟で利他行を続けてきた記録」といえる。 「百の診療所よりも一本の用水路」 「飢餓と渇水を前に医療人はあまりに無力で、辛い思いをする。 清涼な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得る」 「私たちが持たなくてよいものは何か、人として最後まで失ってはならぬものは何か、 私たちのささやかな実践が、それに想いをいたす機縁となれば、苦労も報われると思っている。」 チベット仏教的には、最上の菩薩行によってよき転生を果たされるに違いないのだが、伊藤和也氏には心から敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。 #
by epea_d
| 2008-08-30 17:51
| 街の様子
ダラムサラでは、ちょうどデリーで無期限ハンストが開始された7月末から、そこはかとなく五輪に対する抗議ムードがかもし出されていました。
そこはかとなく……というのは、五輪を支持する法王様のスタンスに配慮して、一般人の皆さんとしては表立っては抗議アクションを強く打ち出さない姿勢を保っておられたからですが、心情としてはやはり「本土における当局の蛮行を容認しているわけではまったくない、抗議の意思表明をしたい・・・」 と感じていた人々がほとんどではないかと思います。お店や行商のおばちゃん達、ストリート・ミュージシャン、学校の先生といった人々と話をしてみて、私自身はそういう印象を受けました。 そのためか、開会式前日の7日(木)から、チベット系の商店はいっせいに閉店し、連続抗議デモの態勢に入りました。毎日、数千人の人々がツクラカンの広場に集まって集会を開き、そこからロウワーダラムサラに向けて坂道を下っていくのです。あるいは逆のコースで、山の麓の方から上のマクロードガンジまで上っていく、というパターンも。 私がダラムサラを出なければならなかったのは開会式当日である8日でしたが、この日は朝9時から集会があり、たいそうな勢いでした。ちょうど、5月6日の東京デモ最後の時の、代々木公園屋外ステージを彷彿させる盛り上がりでした。(ちなみに、3月22日の東京デモの模様はかなり海外でも放映されたようで、チベタンには何度か感謝されました。) 昨日10日の様子がパユルに出ています。 #
by epea_d
| 2008-08-11 10:30
| 街の様子
ツクラカン前の通りでお店を出していた行商のお兄さん。 ミサンガについてあれこれ尋ねたら、ていねいな口調で答えてくれました。女性用のドレス(チュバ)の前につけるきれいな前掛けもあったので、きれいな布だね、どこの物?と尋ねたら、「そうだよ、これはいい品だよ、なんといってもラサ製だから」と言って、広げてみせてくれたのです。 「ラサ製って・・・ラサのものが、今もまだ手に入るの?!」と驚いて尋ねたところ、それまでの穏やかな口調から一変して眉をひそめ、「No! Impossible!」 それから、ご自身の強い口調が気になったのか、すぐに穏やかな声に戻って、説明を続けてくれました。 「私たちチベット人はもちろん、オリンピックそのものに反対しているわけではありません。私たちは、中国という大国でオリンピックが開かれること自体は悪いことではない、と認めています。世界中の人々がオリンピックを楽しみに集まるというのは、いいことです。ただし、中国は、本土での抗議活動が活発になることを恐れて国境を厳しく封鎖しているので、あらゆる品物の取引は事実上、不可能な状況が続いているのです。……このエプロンは、去年の11月に仕入れたものです」 と。 まるで、法王様の公式見解を踏まえて一言一句、言葉を選ぶようなご説明! 不思議に思って尋ねたところ、実はこの行商の男性は、以前は僧侶でいらしたことがわかりました。現在は甘粛省として併合されている自治州にあるお寺で10年以上、修業なさっていたそうですが、事情により1999年にインドへ亡命された、とのこと。どうりで……洗練された英語を穏やかに話す上品な人で、いわゆる行商さんのイメージとは違うので、どういうことだろう?と感じていたのでした。この方によると、行商の人々の中にも元・僧侶の方々はけっこういらっしゃるのだそうです。 #
by epea_d
| 2008-08-02 20:50
| 街の様子
7/28にデリーで開始された無期限ハンガーストライキの続報がPhayul に出ていますので、興味ある方はご参照ください。6日目を過ぎて、参加者の健康状態はきわめて危ぶまれている模様です。(訳している時間がなくて、すみません。)
なお、記事の最後に感想を投稿できるシステムがあります(一番下の「Reader's Comments」とある赤い欄をクリック)。こちらに英語で投稿すれば、Phayul の読者(大勢のチベット人が読んでいます)に声を届けることができると思いますので、試してみてください。 Phayul の写真コーナーはこちら。 ダラムサラでは街中にポスターが貼られています。道行く人々も心配そうに足を止めて見ています。 知人が参加している、という僧侶の方々。長い時間かけてポスターを読んでいました。 ハンスト参加者6名の内訳は、5名が僧侶で1名が一般人。そのうち、ダラムサラ出身者は一般人を含む2名です(写真上段真ん中と下段左端)。 #
by epea_d
| 2008-08-02 17:58
| 街の様子
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