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(後半のインタビュー部分を追記・修正しました。11/1)
****** (マスコミの方に同行させていただいた時のメモ) ナンパラ峠 狙撃事件の際、チベット人一行の中にいた男子。当時16歳。 ■「ナンパラ峠 狙撃事件」とは? 2006年、雪のヒマラヤを越えてインドへ亡命しようとしていたチベット人の一行を、中国の国境警備隊員が狙撃。偶然付近にいたルーマニアの登山隊がその様子を撮影、映像がテレビ局から放映されて、世界に知られることとなった。 当時のlive door news 記事 (切り口が2chネタという、やや特殊な扱いですが、当時の日本での報道状況がわかる。 産経新聞など他媒体にも通常記事はあったようですが、今では削除されています。) YouTube映像への直リンク (ごく小さい画像ですが、殺人に相当する場面が映されているため、「未成年にはふさわしくない」等の警告が出ますが、年齢認証をおこなってご覧ください。) chinese soldiers shooting tibetan pilgrims at mount everest ↑ がうまく機能しない時は、こちら↓ を試してみてください(同じ映像)。 China's massacre in Tibet. Shooting at Tibetan pilgrims. ナンパラ峠とはどういう場所か、ここのサイトでは拡大できるきれいな写真が掲載されているので、ご参考までに。同じ場所で、かたや最新装備で身を固めてスキーを楽しむ人がいるんですね、ちょっとびっくり。 ***(以下、少年の語った内容)******** ナンパラ峠を越えようとしていたグループは、総勢72人(74人?)だった。 そのうち、自分達はガイドを見失い、道に迷って雪の中にとどまっていたところを中国兵に見つかり、連行された。 (「インターネットに公開された映像では、仲間が撃たれても 行列が淡々と歩き続けているのが妙な気がするが?」と聞かれて) 狙撃された頃には、すでに皆、疲れきっていて、バラバラに離れて歩いていたはず。 「前方で誰か撃たれた」とわかったとしても、皆、雪の中を自分ひとりが歩いていくだけで必死だったはずだ。 捕らえられた後、ティングリからタシジョンまで連れ戻された。 そこで、撃たれて死亡した尼僧の遺体を確認させられた。 背中から前の胸に抜けた銃痕が、大きかった。 その後、シガツェの刑務所で、二ヶ月間、拘束された。 その監獄には、全部で1000人ぐらい、男女別に投獄されていた。 アムドから来た、4歳の子供もいた。 13歳ぐらいまでは、拷問されないようだ。 自分は、電気棒で体中、ひどく拷問を受けた。 亡命してから二年経っているが、まだ所々に痕が残っている。 刑務所の食事は、朝6時前に、少量のツァンパと湯が出た。 夜は、残飯があれば出た。 日中は、屋外で何時間も「屈伸の刑」を受けているか、 刑務所内の建物などの増設工事をやらされるか、どちらかだった。 工事をやる時は、朝6時から夜9時まで働かされた。 「屈伸の刑」を受けている時は、太陽の照る下で、屈伸のようなポーズを保ったまま、じっとしていなければならない。 両膝を曲げた中腰のような姿勢で、両腕を前に伸ばしたまま、椅子を逆さに持って、立ち続ける。 頭の上には、ガラス瓶を載せられる。 その姿勢のまま、炎天下で何時間も、じっとしていろ、と命令される。 体のバランスを崩して椅子を落としたり、ガラス瓶を落としたりしたら、殴られる。 シガツェの刑務所から二ヶ月ほどで釈放された後は、刑務所を一緒に出た人や知り合いにお金を借りて、ラサの兄に電話して迎えにきてもらい、ラサまで連れて行ってもらった。 ラサには6日間いてから、また逃げた。お金は知り合いの皆に借りた。 (「たった6日で、もう一度亡命しようと決心がついたの? 『また捕まったらどうしよう』とは思わなかった?」という問いに対して) 投獄されていた間に、どういう拷問を受けるかわかったので、覚悟はできていた。 拷問を受けるとはいえ、自分はまだ10代なので、大人ほど酷い目には遭っていない、と感じた。 チベットにとどまり続けるよりも、危険を冒してでも逃げ出したい、という気持ちの方が強かった。 二回目は、偽装バス(トラック?)に乗った。 国境で、自分だけちょうどトイレに行っている間にチェックを間逃れて、パスすることができた。 ***(インタビュー、ここまで)******** (以上、ビデオを撮りながらの簡単なメモでした。 詳しくは、チベットNOW@ルンタの中原氏が 事前に(6月17日)インタビューなさった詳しい記録がありますので、そちらをぜひご参照ください。) 以下の写真は、電気棒による拷問の痕。 右脚: ふくらはぎ中央に並んで二ヶ所(大小)、かかとの辺りに三ヶ所 左腕: 肘の左横に一ヶ所、親指で押さえている辺りに一ヶ所 刑務所では一般に、証拠となることを防ぐため痕に残るような拷問はしない、といわれている。 だがこの少年には、二年を過ぎても明らかにわかるほどの強い傷痕が残っている。 「これでも、二年間でだいぶ消えました」と、彼は語っていた。
by epea_d
| 2008-07-10 23:24
| インタビュー
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